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子育てよもやま話~その6~ スーツケースの謎
大変ご無沙汰しておりました。
ネタには事欠かないのですがね~。楽しみにしていてくださっていた方、ごめんなさい(え?そんな人いるのかしら)忙しかったので…というのは言い訳でして、ちょいちょい旅なども楽しんでいます。
今回は、旅といえば…というお話です。
最近、機内持ち込みサイズのスーツケースも、あえて手荷物預かりにしている私。だって、棚に持ち上げるのに肩がつらくて。
で、その手荷物預かりに預けるたびに思い出すエピソードがあるのです。
息子たちが幼いころ、東京某ネズミの国への旅行だったと思います。羽田について手荷物受取のベルトコンベアの前で待って自分のスーツケースを無事受け取ったその時でした。
「ベルトコンベアって意外と速いんだね~」と至極感心している息子。
「うん、うん、うん?え?まさか…」
そうなのです。彼は、荷物が新千歳空港からベルトコンベアで羽田までゴトゴトやってきたと思っていたらしく、
「え?千歳からベルトに乗ってきたと思ってた?」と聞くと、
「あ、違うのか、そうか、そうだよね~」などと言いつつ、たぶん「じゃ、どうやって」と思っていたに違いないのです。
解決したのは、おそらく映画「トイストーリー2」の空港で荷物を追いかける場面を見たときかもしれません(笑)
しかし、羽田や新千歳のバックヤードも縦横無尽にバルトコンベアが張り巡らされているはずだと、
なんなら「バズやウッディが駆け回っていてほしい。」
息子はいくつになってもそんな妄想を楽しんでいますが、実際どうなっているのか未だ謎のまま。そんなの検索すればすぐわかるでしょうけどね。
知りたいような知りたくないような。
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子育てよもやま話~その5~ 偏食とSDGs
長男は、幼児期にがぶ飲みしていた牛乳が、ある日突然飲めなくなった。
1年生の時、給食で出された牛乳を「一口挑戦!」と言われ、飲んで戻してしまったらしく、以来、担任の先生は、「無理な挑戦はしない方向にしますね」とおっしゃり、救われた。
牛乳がダメなので、シチュー、グラタンなど、学校ではかなりの頻度で出されるクリーム系の料理もほとんど食べられなかった。
暮らしが豊かになって、給食指導は「残してもいい」という風潮になり、また、衛生面から持ち帰りも禁止になった。
私が幼少の頃は、残したパンや牛乳をランドセルから出して、公園の野良猫や野良犬に差し出すなんていう風景もざらにあった。(ドラマでも見かけたなあ。)
残った給食が大量に廃棄されるのは、本当に心苦しい。
「世界には食べられずに困っている人がいる」「ごみを少なくしよう」と言われても、食べられないものは食べられない。
6年生の時、救世主が現れた。その先生の考え方はこうだった。
「食べられないものがあっても仕方ない。学級みんなで協力して食べ切ろう。」作ってくださる方への感謝の気持ちを表すため、食缶を空にして返すことが目標となった。
ある子は牛乳を数本飲み、ある子はラーメンを何袋も食べた。
運よくその学級は、少年団でスポーツをやっている子や巨漢が多かったので、毎日食缶は空っぽになった。息子は、煮物担当で、特に好物のひじきの日は大活躍した。
当時はSDGsという言葉もなかったし、「食べられる量だけよそって、自分の分は残さない」というのが主流だったと記憶している(今もそうかな?)。
「全部食べたらおかわりができる」というルールもあったような。
ともあれ、全学年で唯一、給食が残らないクラスとなった6年3組。偏食があっても共有できるその記録はとても誇らしいと思う。
給食時間が毎回楽しく盛り上がり、誰も劣等感をもたなくていい。素敵な学級だったなぁと今でも時々思い出している。
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子育てよもやま話~その4~ 「ああ、かたすかし」の巻
こっちは真剣に話しているのに、膝がカクン!となるようなこと、
我が家の子育てではかなり頻繁にありました。
まず思い出すのは長男が小学校1年生の時の話。放課後、担任の先生から「お話したいことがあります。」と呼び出しがかかり、ドキドキしながら教室に行きました。
話の内容は、友達と2人で用もないのにコンビニに入り、商品をあれこれ見たり触ったりしていると、苦情が寄せられたとのことでした。
つまり、「冷やかし」を注意されたのでした。もちろん担任からも指導があった上での報告でしたが、「家庭でも、今後そのようなことがないようにしっかり言って聞かせます。」と言って帰ってきました。さて、気まずそうにしている息子。おそらく、コンビニの店員さんにも注意され、担任の先生にもトクトクと注意されてきたのでしょう。十分に反省しているだろうことは顔を見ればわかります。「あまり、くどくどと言うのもなぁ」と思い、
「今ね、K先生から話を聞いてきたよ。間違ってしまったことは、次にもう一度しないことが大事。何が悪かったのか、わかったんだよね?」
息子は、うん、とうなずいて涙ぐみ「エッチな本を見ちゃったこと」
「……ちーん」
結局、くどくど言わないはずが、もう一度説明することに(笑)
兄が兄なら、弟も弟。
次男は、4歳くらいだったと思います。どんなことがきっかけで話したのかは忘れてしまいましたが、「間違ってしまったことは、次にもう一度しないことが大事。何が悪かったのか、わかったんだよね?」と、私のいつもの問いかけに、
号泣し、しゃくりあげながら「あたま~」
「……プッ!」
どいつもこいつも。です。子育ては かたすかしでも また楽し
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子育てよもやま話~その3~
子どもって、なぜ今ここで?って時に、TVコマーシャルの宣伝文句を唱えたり、どこかで聞きかじった言葉を叫んだりすることありませんか?
場所によっては、親は赤面ですよね!今回は、私のそんな体験です。
息子が3歳の頃。定期購読していた「こどものとも」の中に、「くわずにょうぼう」という昔話があって、何度も「読んで。」とせがまれ、暗記するほど気に入っていました。
内容は、欲張りな男のところに、望み通り、働き者で飯を食わない嫁が来るのですが、実は、頭に大きな口があって、夜中に蔵の米をわしわしと食べてしまう鬼婆だった…。
さあ、どうなるか…。というような話で、絵も決してかわいらしくない大人っぽいタッチで、何がそんなに息子の心を動かしたのかはわかりません。
ある日、二人で買い物に行った先のできごと。
何を見てスイッチが入ったのか、突然、暗記した物語を大きな声で披露したのです。しかも、こともあろうにこの一節。
「おらも女房がほしいなぁ。よっく働いて、飯を食わねぇ女房がほしいもんだ。」
周りでどっと沸く笑い声。穴があったら入りたい~。
息子は「ウケた!」と思ったのか、「さて、ある日……」と続きを語ってくれたので、「ああ。お話なのね。」と周りの人たちもほっこり。
場が和んだのを覚えています。
皆さんのご家庭にも、赤面エピソードがあるかもしれないし、これから生まれるかもしれませんね。30年後に、笑い話になっていることを祈っています。
あれから四半世紀が過ぎ、「くわずにょうぼう」を唱えた息子のもとには…まだ嫁が来ません。笑ってもいられない事態です。
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子育てよもやま話~その2~
次男の幼稚園生活で嬉しかったことといえば、必ず思い出すのがお泊り会のこと。
息子の幼稚園では、お泊り会の日、みんなで銭湯に行き、帰り道にお店によってアイスを買って食べるのが伝統で、子どもたちが楽しみにしていた一大行事。
ところが、そんな楽しみな日に限って、子どもって熱を出すんですよね。似たような経験をした方もいらっしゃるのでは?
落胆した息子の横で、園に電話をすると、意外な答えが返ってきたのです。
「もし、薬を飲んで熱が下がっているなら、アイスを食べるところから、連れてきませんか?」
「え?それはご迷惑では?」
「どんなに楽しみにしていたか分かるので、パジャマを着て寝るところまで経験させてあげたいのです。夜中熱が上がったら電話しますので、連絡がつくようにだけしておいてください。」
ご厚意に甘えて、いったんほどいていた荷物を再度まとめて、連れて行ったのでした。
夜11時ころ電話が入り迎えに行きました。そこでもまた、
「朝熱が下がっていたら、朝ごはん食べに連れてきてくださいね。」と。そして翌朝奇跡的に熱が下がり、園で朝食をとらせていただき解散まで過ごすことができました。
この話には、いろいろなご意見があるかもしれません。でも、息子は一生に一度のお泊り会を「参加した気持ち」になって体験できました。息子の気持ちに寄り添って、一生懸命思い出を作ってくれた先生方には、本当に感謝です。
今の時代、不可能なことと可能なことがあるかもしれません。でも、子どもの気持ちを第一に考えることや、子どもにとって大切な経験を逃さないこと。そこにはいつも立ち返りたいと思っています。
これって、根っこになるのは「愛」ですね、「愛」。
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子育てよもやま話~その1~
私の2人の息子たちは、とうに成人を過ぎ、おっさんの域に足を踏み入れているけれど、幼いころには、たくさんの喜びや笑いを与えてくれたなあ~とこどもの日を前に思い出した。
辛かったこともいろいろあったはずなんだけど、歳とともに思い出すのは、大笑いしたことばかり。笑うが勝ちだな。と思ったりする。
息子が3歳の誕生日を迎える少し前。
私「誕生プレセント、何ほしい?」
息子「スリッパ!」
私「どうして?」
息子「だって、足の裏にゴミがつくから。」
仕事をしながらの子育てで、掃除機かけもさぼり気味だったからなぁ。
願いをかなえて、赤いかわいらしい子供用スリッパをプレゼントした。掃除機は、その後も、まめにかけることはなかったなぁ(笑)
ちなみに独立した息子の部屋は、ほこりだらけ。親に似て。