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子育てよもやま話~その6~ スーツケースの謎
大変ご無沙汰しておりました。
ネタには事欠かないのですがね~。楽しみにしていてくださっていた方、ごめんなさい(え?そんな人いるのかしら)忙しかったので…というのは言い訳でして、ちょいちょい旅なども楽しんでいます。
今回は、旅といえば…というお話です。
最近、機内持ち込みサイズのスーツケースも、あえて手荷物預かりにしている私。だって、棚に持ち上げるのに肩がつらくて。
で、その手荷物預かりに預けるたびに思い出すエピソードがあるのです。
息子たちが幼いころ、東京某ネズミの国への旅行だったと思います。羽田について手荷物受取のベルトコンベアの前で待って自分のスーツケースを無事受け取ったその時でした。
「ベルトコンベアって意外と速いんだね~」と至極感心している息子。
「うん、うん、うん?え?まさか…」
そうなのです。彼は、荷物が新千歳空港からベルトコンベアで羽田までゴトゴトやってきたと思っていたらしく、
「え?千歳からベルトに乗ってきたと思ってた?」と聞くと、
「あ、違うのか、そうか、そうだよね~」などと言いつつ、たぶん「じゃ、どうやって」と思っていたに違いないのです。
解決したのは、おそらく映画「トイストーリー2」の空港で荷物を追いかける場面を見たときかもしれません(笑)
しかし、羽田や新千歳のバックヤードも縦横無尽にバルトコンベアが張り巡らされているはずだと、
なんなら「バズやウッディが駆け回っていてほしい。」
息子はいくつになってもそんな妄想を楽しんでいますが、実際どうなっているのか未だ謎のまま。そんなの検索すればすぐわかるでしょうけどね。
知りたいような知りたくないような。
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1年に一度は…
今年も桜の季節がやってきました。
だんだん年をとってきて、1年に一度のことがとっても貴重に感じられる様になってきました。
夫は毎年桜を見ると、「あと何回桜が見られるかなぁとか、あと20回見られるかなぁ?」と呟きます。本当に綺麗な桜を元気に眺められるのは幸せなことだと実感します。
そして今日は5月5日 子どもの日
今 子育て真っ最中のお父さん、お母さんはとっても大変で、毎日子どもの世話や子どもの心配で、押しつぶされそうに感じることもいっぱいあることでしょう。でも、考えてみると、子どもの日を我が子と一緒にお祝いするのって、あと何回あるのでしょう?
今は18才で成人だそうで、
だとしたら、ぐーなっつに来ている子どもたちはあと10回くらいしか子どもの日を子どもとしてお祝いされないってことになってしまうのです。じゃあ今のうちにいっぱいお祝いして、祝福を伝えてあげましょうよ
伝えてあげたいメッセージは勿論
『君は愛されるために生まれた』ということ。『あなたは宝物だよ』ということ。『生まれてきてくれてありがとう』ということ。親から子へのメッセージは『I love you 』に尽きると思います。
『I love you 』は何度聞いても嬉しい言葉ですから。人は愛されると自分が大切な存在だと感じられる、つまり自己肯定感が高くなり、穏やかに過ごすことができるのだそうです。
年に一度の子どもの日に限らずいつでも、何度でも伝えておきましょう!
勿論子どもにだけじゃなく、ママからパパへ、パパからママへも言ってあげたほうがいいに決まっているけどね。
来週は母の日、まずはパパと子どもたちからママへ『I love you』よろしくね😊
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子育てよもやま話~その5~ 偏食とSDGs
長男は、幼児期にがぶ飲みしていた牛乳が、ある日突然飲めなくなった。
1年生の時、給食で出された牛乳を「一口挑戦!」と言われ、飲んで戻してしまったらしく、以来、担任の先生は、「無理な挑戦はしない方向にしますね」とおっしゃり、救われた。
牛乳がダメなので、シチュー、グラタンなど、学校ではかなりの頻度で出されるクリーム系の料理もほとんど食べられなかった。
暮らしが豊かになって、給食指導は「残してもいい」という風潮になり、また、衛生面から持ち帰りも禁止になった。
私が幼少の頃は、残したパンや牛乳をランドセルから出して、公園の野良猫や野良犬に差し出すなんていう風景もざらにあった。(ドラマでも見かけたなあ。)
残った給食が大量に廃棄されるのは、本当に心苦しい。
「世界には食べられずに困っている人がいる」「ごみを少なくしよう」と言われても、食べられないものは食べられない。
6年生の時、救世主が現れた。その先生の考え方はこうだった。
「食べられないものがあっても仕方ない。学級みんなで協力して食べ切ろう。」作ってくださる方への感謝の気持ちを表すため、食缶を空にして返すことが目標となった。
ある子は牛乳を数本飲み、ある子はラーメンを何袋も食べた。
運よくその学級は、少年団でスポーツをやっている子や巨漢が多かったので、毎日食缶は空っぽになった。息子は、煮物担当で、特に好物のひじきの日は大活躍した。
当時はSDGsという言葉もなかったし、「食べられる量だけよそって、自分の分は残さない」というのが主流だったと記憶している(今もそうかな?)。
「全部食べたらおかわりができる」というルールもあったような。
ともあれ、全学年で唯一、給食が残らないクラスとなった6年3組。偏食があっても共有できるその記録はとても誇らしいと思う。
給食時間が毎回楽しく盛り上がり、誰も劣等感をもたなくていい。素敵な学級だったなぁと今でも時々思い出している。
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2024年愛をもって
2024年がスタートしました。2023年はぐーなっつをオープンし、軌道に乗せるというのが大きな目標でした。みなさんに支えられてその目標は私達の想像以上のスピードで達成されています。
本当にありがとうございます。
さあ、それでは2024年の目標は?と考えていた時に、画像にあるこの言葉をドイツ人で大学の先生をしている“オラフ教授”から教えてもらいました。「全てのことを、愛をもって行いなさい」という意味です。
教授の話では、旧約聖書の時代のイスラエルでは、収穫の時、土地をもっている人は、畑でできた一番良い初物を神様に捧げるという細かい契約や決まり事が厳しく定められていました。
しかし、同時に、土地をもたない弱い人、貧しい人たちのためには、その人たちが畑に残された作物の落穂を拾って食べることができるように残しておいてあげなさいということも示されていたのだそうです。
一見矛盾する話ですが、そこに、寛容な神様の性質が現れているのだというのです。
オラフ教授によると、ルールをしっかり守って正しく物事を行いたいドイツ人の気質からすると、落穂を残しておくなどという曖昧なことは決してあり得ないのだそうです。しかし、それが「全てのことを、愛をもって行う」ということの現れなのだそうです。
この曖昧さがなければ、ミレーの名画『落ち穂拾い』も描かれることがなかったのかもしれません。
『愛をもって』ということでいうと、先日ぐーなっつの餅つきの為に会場を貸してくださったICF教会のジェリー牧師によると、『愛』には『喜び』がついてくるのだそうです。愛を示されると愛された方は嬉しく、喜びがあふれます。そしてそれを見ると、愛を示した方にも喜びがあるということでしょうか。
このお正月、ジェリー牧師は、愛を示すとどうなるか実験してみたそうです。毎日奥さんに「愛してるよ❣️」と言ったり、奥さんに親切にして一週間を過ごしたのです。(さすがアメリカ人!)
すると奥さんの方もいつにも増して、優しく、親切にしてくれたと言うことでした。(奥さんは一週間だけじゃなく、ずっと続けて!と言っていました)
まず最初に愛を示す、すると喜びと愛がセットになって返ってくるようです。
これはいい話ではないでしょうか?私も今年は、「全てのことを愛をもって行う」ということを目標にしてみようと思います。
決して見返りを期待してというわけではありませんよ!でもチャレンジしてみる価値はありそうです。(還暦を過ぎた日本人夫婦としては、毎日「愛してるよ!」と言い合うのは無理だと思うけど‼️⁉️)
ぐーなっつの子どもたちと保護者の皆さん、職員のことは愛してます💕
「全てのことを愛をもって行う」を目標に頑張ります。
今年もぐーなっつで楽しい時が過ごせますように! -
クリスマスプレゼントって?
街のあちこちでクリスマスキャロルが流れ、TVのコマーシャルが「クリスマスが今年もやって来る〜」と歌うのを聴くと、なんとなくウキウキ楽しい気分になってきますね。
「今年はサンタさんに〇〇貰おうかな」「パパがクリスマスプレゼントに△△買ってくれるって言ってた!」など、クリスマスといえばプレゼントというイメージですよね。
私も子どもの頃、サンタさんにママレンジをもらって、冬休み中ホットケーキを焼いていたものです。(ママレンジというおもちゃ知っているかな?知らない人はばあばに聞いてみてね。今思うとすごい画期的なおもちゃでしたよ。)
でもどうしてもクリスマスにはプレゼントを贈るようになったのでしょう?
ご存知のように、クリスマスはイエスキリストのお誕生日。ここからは私が小学生の頃に行っていた教会学校の牧師さんのお話。
「聖書には、キリストの誕生をお祝いして東の国の博士たちが、黄金などの素晴らしいプレゼントを持ってやってきたと書かれています。これがクリスマスプレゼントの始まり?
じゃあ誕生日プレゼントってこと?誕生日プレゼントなら誕生日じゃないのにプレゼントもらうのって変だよね!
いえいえ実はもっと前にプレゼントがあるのです。それはね〜
神様が全世界の人々に神様の愛を伝えるために、救い主イエスキリストをプレゼントしてくれたということ。それがクリスマスプレゼントの始まり!
だから世界中の人たちがクリスマスにはプレゼント贈りあってお互いの愛を伝えるのです。」ということです。
確かにプレゼントって贈る人も貰う人もHappyな気持ちになりますよね。今の世の中、物を送ることだけがプレゼントじゃないと思うけど、愛を伝え合うってことはいつでもやっていきたいことですね。今年のクリスマスはたっぷり愛を伝え合うクリスマスにしましょう!
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子育てよもやま話~その4~ 「ああ、かたすかし」の巻
こっちは真剣に話しているのに、膝がカクン!となるようなこと、
我が家の子育てではかなり頻繁にありました。
まず思い出すのは長男が小学校1年生の時の話。放課後、担任の先生から「お話したいことがあります。」と呼び出しがかかり、ドキドキしながら教室に行きました。
話の内容は、友達と2人で用もないのにコンビニに入り、商品をあれこれ見たり触ったりしていると、苦情が寄せられたとのことでした。
つまり、「冷やかし」を注意されたのでした。もちろん担任からも指導があった上での報告でしたが、「家庭でも、今後そのようなことがないようにしっかり言って聞かせます。」と言って帰ってきました。さて、気まずそうにしている息子。おそらく、コンビニの店員さんにも注意され、担任の先生にもトクトクと注意されてきたのでしょう。十分に反省しているだろうことは顔を見ればわかります。「あまり、くどくどと言うのもなぁ」と思い、
「今ね、K先生から話を聞いてきたよ。間違ってしまったことは、次にもう一度しないことが大事。何が悪かったのか、わかったんだよね?」
息子は、うん、とうなずいて涙ぐみ「エッチな本を見ちゃったこと」
「……ちーん」
結局、くどくど言わないはずが、もう一度説明することに(笑)
兄が兄なら、弟も弟。
次男は、4歳くらいだったと思います。どんなことがきっかけで話したのかは忘れてしまいましたが、「間違ってしまったことは、次にもう一度しないことが大事。何が悪かったのか、わかったんだよね?」と、私のいつもの問いかけに、
号泣し、しゃくりあげながら「あたま~」
「……プッ!」
どいつもこいつも。です。子育ては かたすかしでも また楽し
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お団子とお月様
息子が2歳半くらいだったでしょうか。
十五夜の日、保育園の帰りに大きなお月様が出ているのが見えました。息子の手を引きながら、「今日はまんまるお月様の日だね。おうちに帰ったらお団子作ってお月見しようね!」
と話しながら帰り、張り切ってかぼちゃ入りのまんまるな白玉団子を作りました。夜、2歳の息子と、4歳の娘と3人で満月を見ながら「お月様にはウサギさんがいてお餅つきをしているんだって。」などと話しながら、お団子を食べて、
「子どもたちとゆっくりお話ししながらこんな優雅なお月見ができるなんてしあわせだわ!」としみじみ感じていました。
ところが・・・そんなしみじみは・・・甘かった!
お月様は、毎月毎月まんまるになるのです。
保育園の帰り、まん丸になったお月様を見つけるたびに、「ママ、今日はお月様まんまるだね!お団子作って食べようね!」とキラキラおめめデ言われるようになったのです。というわけで・・・それからしばらくは、我が家は毎月お月見でした。
十五夜になると思い出すかぼちゃ団子の思い出です。どおりで年男の息子は今でもお団子好きのようです!
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人参が嫌いでどうしても食べたくない子にどうする?
大学で、特別支援教育の専門課程に入るための最終面接があった時のこと。
「どうしてこの学科に入りたいのか?」などありがちな質問がいくつかあった後、教授がこう質問した。「あなたは今、子どものためにご飯を作ってあげています。でも、子どもは人参が嫌いで、絶対に食べてくれません。あなたならこの子のために、どういう方法を考えますか?」
一瞬、いろいろな答えが頭の中を巡りました。
「すりおろしたり、みじん切りにしたりして、ハンバーグに混ぜたり、ケーキに入れたりして人参の姿を隠す?」
「甘く煮たり、カレーライスの中に入れて味がわからないようにする?」
でも、それじゃ人参嫌いの子にはすぐにバレちゃうかな?そもそもなんで人参を食べなきゃならないんだろう?
そんな考えが頭の中をグルグルしたのですが、思い切って別なことを言ってみました。
「人参と同じ栄養のある違うものを食べさせます。」そう、人参の主な栄養がカロテンならカボチャだっていいわけじゃない?そんな風に考えてみたのです。
この答えが正解だったのかどうかを教授は教えてはくれませんでしたが、私は無事その課程に入り、特別支援教育と出会うことになったのです。
今思うとどれでも正解だったような気もするし、どれも不正解で、現実はそんなに簡単ではないような気もします。だけど、1人1人の子どものために、これはどうかな?あれがいいかな?と一生懸命考えるということが、どの方法にするかよりもずっと大切なのではないでしょうか?
ちっちゃく切ってあげれば人参を食べられる子もいるかもしれないし、別なものを考えてあげなくてはならない子もいるかもしれません。
ぐーなっつでは、職員みんなで知恵を出し合って、1人1人の子にどういう方法で関わったらいいのかを一生懸命考えています。
これからもずっとそうしたいと願っています。
ちなみに人参が嫌いなうちの夫には今日はカボチャのお料理を用意しました。ちゃんと食べてくれるかな?
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子育てよもやま話~その3~
子どもって、なぜ今ここで?って時に、TVコマーシャルの宣伝文句を唱えたり、どこかで聞きかじった言葉を叫んだりすることありませんか?
場所によっては、親は赤面ですよね!今回は、私のそんな体験です。
息子が3歳の頃。定期購読していた「こどものとも」の中に、「くわずにょうぼう」という昔話があって、何度も「読んで。」とせがまれ、暗記するほど気に入っていました。
内容は、欲張りな男のところに、望み通り、働き者で飯を食わない嫁が来るのですが、実は、頭に大きな口があって、夜中に蔵の米をわしわしと食べてしまう鬼婆だった…。
さあ、どうなるか…。というような話で、絵も決してかわいらしくない大人っぽいタッチで、何がそんなに息子の心を動かしたのかはわかりません。
ある日、二人で買い物に行った先のできごと。
何を見てスイッチが入ったのか、突然、暗記した物語を大きな声で披露したのです。しかも、こともあろうにこの一節。
「おらも女房がほしいなぁ。よっく働いて、飯を食わねぇ女房がほしいもんだ。」
周りでどっと沸く笑い声。穴があったら入りたい~。
息子は「ウケた!」と思ったのか、「さて、ある日……」と続きを語ってくれたので、「ああ。お話なのね。」と周りの人たちもほっこり。
場が和んだのを覚えています。
皆さんのご家庭にも、赤面エピソードがあるかもしれないし、これから生まれるかもしれませんね。30年後に、笑い話になっていることを祈っています。
あれから四半世紀が過ぎ、「くわずにょうぼう」を唱えた息子のもとには…まだ嫁が来ません。笑ってもいられない事態です。
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母の声
私は幼い時、寝る前にいつも母が読み聞かせをしてくれた。
幼稚園教諭となり、子どもたちに読み聞かせたり、絵本や昔話について学んだりする機会ができた。母は私が29歳の時に病で他界した。
ある時「ちいさなおうち」「おおきなきがほしい」「ひとまねこざるびょういんにいく」「クラマはかせのなぜ」「ながいながいペンギンの話」母が読み聞かせをしてくれた絵本に出会った。
思わず我が子に読んであげたくなり手に取った。
声を出して読むと、私の声と重なるように、懐かしい母の声が響いた。絵本の絵と共に母の声が聞こえたことに驚きと喜びを感じた。毎晩読み聞かせを続けた。
きっと子どもたちの心の中にも私の声が残っていることだろう。